二・二六事件を思う@2023
晴れ
今日は2月26日。この日に何があったのか、そして何故そうなったのか考える人はどのくらいいるだろう。
今から87年前の今日、1936年(昭和11)2月26日、陸軍の青年将校等が1,483名の下士官・兵を率いて蜂起して大規模なクーデターを断行しました。いわゆる『二・二六事件』。
16年ぶりにこの事件についてブログで取り上げました。
2007年2月26日 二・二六事件
1936年(昭和11)2月26日早朝、雪の舞う帝都、東京において高橋是清・蔵相(今でいう財務大臣)、斎藤実・内大臣、など首相経験者を含む重臣4名、警察官5名が犠牲になりました。
一時は永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠したが、最終的に昭和天皇が蜂起した部隊を『賊軍』とみなし、これに基づいて伝単(ビラ)が配られ、首謀者たちが諦め、事態が収束しました。(➡参考)
青年将校が計画した背景には、事件の起こる6年前に実施した 金輸出解禁(※1)と※2 世界恐慌(※2)により、日本は深刻な不景気( 昭和恐慌※3)にあるといわれています。
※1 金輸出解禁:1930年(昭和5)浜口雄幸内閣(井上準之助蔵相)金輸出解禁(金解禁)実施(➡参考) ※2 世界恐慌:1929年(昭和4)10月にアメリカ合衆国の戦間期で始まり、1933年(昭和8)にかけて世界に広がった経済不況(恐慌)のこと。(➡参考) ※3 昭和恐慌:世界恐慌の影響が日本にもおよび、翌1930年(昭和5)から1931年(昭和6年)にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌。(➡参考) |
この深刻な不景気により、企業は次々と倒産し、町は失業者であふれ、農村でも農作物価格が下落しました。
都市の失業者が農山村に戻ったこともあり、農民の生活は大変苦しく(農村恐慌)、自分の娘を女郎屋に身売りする家もたくさん出てきた状況がありました。
こうしたなか、当時の政党内閣は適切な対応をとらず、また汚職事件が続発し、不景気のなか、巨大な資本を用いて財閥だけが豊かになる状況になる。
このような情勢のなか、世論は政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部(とくに陸軍)に期待するようになりました。
こうした国民の支持を背景に、軍部や軍に所属する青年将校たちが力をもち、右翼と協力して国家の革新を目指した結果として事件が起こりました。
あれから87年が経ちましたが、このような出来事をいまの働き世代はどのように見ているのだろうか。
『歴史は繰り返される』といいます。1945年(昭和20)8月15日に敗戦を迎えた日本は、米国の主導のもと、根本が変わったといわれており、『いつか来た道』を辿ることはないと思います。
しかし、いま、ロシアがウクライナを侵攻して1年が経ち、いまだ『戦争状態』にあり、世界全体の経済を揺るがす事態が継続する不安定な状況化にあります。
一日も早い世界平和を願うばかりです。
【2.26事件に関する記事】
ベネッセ 青年将校が立ち上がった『二・二六事件』 その原因とは
二・二六事件は昭和天皇の激怒で淡雪のように消え去った
日本大百科全書(ニッポニカ) 二・二六事件
【追記】新型コロナウイルス
2月26日、広島県が発表した県内の新規感染者数は344人(210減)でした。
県内3大都市では広島市が127人(58増)、福山市は49人(59増)、呉市は30人(21増)でした。
一方、江田島市は1人(±0➡HP、県公表資料)でした。
※2月25日(土)の結果です。県公表資料は広島・福山・呉を除く県管轄市町。
一日も早い、コロナ収束を願うばかりですが、一人ひとりが、引き続き、マスクの着用、手洗い、手指消毒や『3密回避』など、基本的な感染防止対策をすることが大切です。
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