江田島市と中国との関係~中日友好之碑
先日、北京の日本大使館員(広島市出身)とお話しする機会がありました。中国で意外と江田島市に縁のある方々と会うとのことに驚きました。
実は江田島市大柿町大原に『中日友好之碑』があります。賛同者には、戦時中、日本人であることを伏せて李香蘭の名前で女優として歌や映画で活躍し、戦後はテレビ番組の司会者や参議院議員も務めた山口淑子(やまぐち よしこ)さん、後に『敦煌~シルクロード』で脚光を浴びる、元・東京芸術大学学長の平山郁夫画伯も名を連ねています。
山口淑子さん→https://columbia.jp/artist-info/rikouran/prof.html
平山郁夫さん→http://hirayama-museum.or.jp/hirayama.html
碑には『1973(昭和48)年春』とあり、田中角栄内閣が1972年(昭和47)9月29日、中国政府とともに共同声明を発表し、日中両国間の平和友好関係を強固にするための条約を締結する方針を明らかにしたことに伴う建立事業であったのではないでしょうか。
なぜ、この碑が建立されたのか、その経緯を知っていらっしゃる方がいましたら、ぜひ教えてください。
因みに、江田島市では中国より台湾に縁のある方が多いと思っていたので、中日友好之碑は意外でした。
(1)元衆議院議長 灘尾弘吉先生
大柿町大原出身の元・衆議院議長 灘尾弘吉先生は、蒋介石総統の戦後の対日対応に対する「恩」を忘れず、日中国交正常化においても頑なに訪中(中華人民共和国)をしなかったそうです。
日経新聞→https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2301J_T20C12A1000000/
(2)河石九二夫・医師
大柿町大原出身の元・台北帝国大学教授、元・広島大学医学部長(→ウィキペディア)
江田島市(大柿町大原)出身の戦前のロスアンゼルス五輪(1932年、昭和7年)水泳男子自由形100m・銀メダリスト、河石達吾選手の親戚にあたる。
河石達吾選手→『もう一人のメダリスト』(http://www.iwojima.jp/index043.html)
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