時代の流れ~ユウホウ能美工場閉鎖
くもりのち雨
台風27号の影響によりお昼前から雨が降り始めた江田島市域でした。今日の中国新聞にユウホウ能美工場の閉鎖(今年9月末)についての記事が掲載されていました。
明治25年(1892)に現在の江田島市大柿町大君に朝日紡績が能美工場を設立したのが起源であり、島の産業としては重要な拠点でした。戦前は一時、海軍に接収され航空機部品を製造した時代もあります。
広島県といえば、明治の頃より移民県として有名ですが、現・江田島市(一部か?)は呉の海軍工廠や紡績工場があったおかげで比較的少なかったようです。
旧・大柿町史によると昭和7(1932)年では21戸(29名)が海外に出ています。柿浦地区:北米、大原地区:ハワイ、小古江地区:ブラジルなど行き先は集落ごとで偏っているのが興味深い。恐らくは、先に行った同郷(地域)の人を頼りに移住したか、もしくは、逆に先発隊が出身地の人達を呼び寄せたのではないだろうか。
紡績工場においては、戦後になっても女工さんのスカウトに島根県まで出向いていたという話も聞きました。中学卒業の従業員確保のために広島県立大柿高校の大君分校も1965年(昭和40)に設置されましたが、定員割れが続いたため2009年(平成21)に廃校となりました。時代の流れというものでしょうが寂しい思いがいたします。
(追記)江田島町に所縁のある方からご指摘いただきました。「現・江田島市は呉の海軍工廠や紡績工場等があり、 ハワイ・南米への移民が割と少ない。」という表記はたいへんな問題発言というご連絡を頂きました。
「昭和54年、旧江田島町の山中淳町長は、広島県のブラジル、カリフォルニアの慰問団に選抜されています。現地では、多くの江田島出身者に大歓迎された。」、「すべての平地が国有地になった旧江田島町は移民の多い地域として有名である。」というご指摘を頂いたので追記させていただきます。
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コメント
私も家庭の事情で裕豊紡績で働きながらの大君分校へ通っていました。私にとっては有り難い環境でした。働いて収入を得て学校まで通え救われていた生活でしたが、、、。
意味のない若気の至りで、そこを去らなければいけなかった。
そこからは苦労が耐えなかった。今でも思う。何にもない力もない若僧が身一つで社会の海原へ駆け込んでも苦労しかない。
今は医療福祉人として広島を出て過ごしているが、あの時そこで頑張っていれば要領よく生きてこれたかもしれない。遠回りの人生だった。矛盾しているが製糸工場&学校は私に希望を与えてくれた場所であった。心から感謝している。
投稿: 33年前 | 2022年1月 1日 (土) 23:22