メディアとどう付き合うか
晴れ
放射冷却の影響でしょうか、大変冷え込んだ朝を迎えた江田島市です。今朝は車のフロントガラスだけでなくミラーまで凍っていました。
以前、メディア・リテラシーについてブログに書いたことがあります。(2009年5月27日記事)物事の判断の中で人は”色眼鏡”というものを無意識に使います。誰しも”色眼鏡を通して見てはいけないよ”と言われたことは何度となくあるのではないでしょうか。
日常生活の中で、大抵の人が朝起きればテレビ・ラジオ・新聞等を見聞きすることから始まります。そういったメディアから発信される情報をごく当たり前の”事実”として受け入れているのではないだろうか。
このようなマスメディアが発信する情報も実は”色眼鏡”を通したものかもしれません。大きな事件、例えば衆議院選挙や外交問題等に関する新聞各紙記事(全国紙や中国新聞などの地方紙)を見比べてみるとそれぞれの観点や主張が違うことに気づきます。(テレビやラジオ、週刊誌なども同様です。)
江田島市にある”大黒神島”という無人島、この島もいろんな方向から見るとまったく異なる島に思えるように、一つの社会現象においても見る立ち位置からすれば自ずと感じ方が違ってきます。送り手も人間である以上、主観が入っても仕方のない面はあるかもしれませんが、見極めが大切です。
今回、秋葉忠利広島市長が次期市長選への不出馬表明をしましたが、記者会見を拒み、あえて不出馬理由をYoutube(ユーチューブ)というネット配信を利用した会見動画を公開しました。一つの理由としては、記者会見した場合に本来自分が伝えたいことを(編集などで)伝えることができない、という思いがあったといいます。
かつて佐藤栄作首相が退任するとき、偏向的な新聞社報道を嫌ってテレビカメラに向かって直接国民に語りたいといったこと(Youtubeの映像① 映像②)を思い起こしました。
”ペンは剣よりも強し”という言葉があります。”ペン”の恐ろしさという面もあるのではないだろうか。それゆえに一個人としてのメディア・リテラシー(情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力)の向上が不可欠となってきます。
一方で、最近はブログ、ツイッター、動画配信(Youtubeなど)等で私も含めて一市民が自由に情報発信できる環境になりました。つまり、これまで情報の受け手であった個人もメデイアとして言いたいことを主張することができるようになったのです。そして遠く離れた人たちとコミュニケーションを取ることもできます。
ただし、ちまたではネットによる匿名での誹謗中傷やナリスマシという問題もあります。いくら”表現の自由”が(日本では)憲法第21条で保障されているといっても無制限に自由というわけではありません。今一度、情報発信者としてのモラルを考えてみる必要もあります。
日本国憲法 第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 ② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 |
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