海は忘れない
晴れ
穏やかな文化の日。昭和23年(1948)と昭和25年(1950)7月27日に大柿町長島沖でイワシ網漁をしていた際に米軍の不発弾による犠牲者が26名でました。
今年、24名の犠牲者を出した昭和25年の事故から六十回忌を迎えるということで、犠牲者の慰霊碑が住民有志の寄付により大柿町深江漁港近くに建立されました。
当初は設置場所をどこにするかという問題もありましたが、市有地が漁協近くにあって市長のご配慮もあり海の近くに建てることができました。そして碑は事故があった長島の方向を向いています。
今朝10:00より遺族や住民で追悼式がしめやかに行われました。戦争が終わったあとにも犠牲者が出たという歴史を私たちは後世に伝えていかなければなりません。海は忘れない。
大柿町深江地区は長年、バス停の延長が悲願でした。現在の最終停留所は市役所深江連絡所前にありますが、地区の人口中心地である須ノ元までを希望していました。高齢者の方々や足の不自由な人にとって600メートルの道のりというのは大変でした。
総務部企画振興課および江田島バスが検討した結果、トイレが近くにある市有地が須ノ元地域にあり、ようやくバス停延長の目途がたったということです。左の写真はバスが停車するために切り込みをつくった現場です。あとは運輸局の認可とダイヤ編成を待つだけです。
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