がんばれ~!!
晴れ
日中は暑いですね。
中国新聞朝刊の【元気じゃけん-芸南の島々-第4部 若いパワー①】。
勇気や元気を受けました。20代の若い人達が元気に生活している江田島市なんだ、という安堵感もありました。
私が江田島市(旧:大柿町)に帰った(住居を移した)のは平成13年(2001)の7月でした。その年の3月24日に芸予地震が起こったのですが、私は父親と大学先輩と東京新橋で今後の方針を語らっていました。地震発生の報道で、急遽、父と羽田空港へ向かい、広島に帰りました。阪神大震災クラスと報道されておりましたが、被害は軽微であったことに感謝。翌日、私はトンボ返りで東京へ。
島に帰ったときには、まったく政治に興味ありませんでした。なぜなら、大学卒業して社会人になっても転勤族であったからです。今にしては言い訳にすぎないのですが。地域の市政/県・都政まで考える余裕のない仕事量とすぐに転勤する、ということが。そして、仕事が海外中心であったこと。政治に興味があるのは対米関係であり、米国政府の対日制裁がどうなるか、ということのみが関心事でした。
平成13年7月に島に帰って、地域が衰退している現状と合併問題でいがみ合う人々。その光景の打破、というのが平成15年5月に当時32歳の私が町会議員に立候補した理由です。市長選も同じ趣旨。外から自分の住んできる地域を見た人であればご理解いただけるかもしれませんが、不可思議なことが多々あるように感じました。
合併問題の会合の中で、【江田島は全国的に有名である】なんて実(まこと)しやかにおっしゃるお歴々もいましたが、そんなの【ウソ】だと思いました。私が平成2~13年に関東(東京、神奈川、千葉)にいたとき、身近な人たちで【江田島】という地名を理解している人は10%もいませんでした。大抵の人が【瀬戸内海の広島県の島】といえば【因島】という返事。
今は一つの江田島市。イガミアイのない【まちづくり】をしていきましょう。
20代、30代、40代の若い人たちにとっても【住みよい江田島市】にしていきます!
⇒学校・医療・交通なんですが、なかなか動きが鈍い、とご批判を受けます。
下水道工事に何十億円(トータルで百億を越しているのか)を投資するよりか、広島市に【江田島市公営住宅】を造ったほうがニーズがあるかもしれませんね。
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